「赤瀬川原平・未発表コラージュ展」が現在、国分寺の画廊「丘の上APT 兒嶋(こじま)画廊」(国分寺市泉町1、TEL 042-207-7918)で開かれている。
同画廊は1936(昭和11)年から1951(昭和26)年までの15年間、洋画家・児島善三郎のアトリエがあった地に隣接して立ち、児島の孫の兒嶋俊郎さんが運営する。児島が杉並に仕事場を移した後の1954(昭和29)年、同アトリエを美術家・吉村益信が間借りし、同郷の赤瀬川原平が居候していたという縁がある。吉村は前衛芸術集団「ネオ・ ダダ」の発案者かつ主宰者で、赤瀬川は前衛美術家・随筆家・作家など幅広く活動した。同画廊は路上観察学会や縄文建築団などで赤瀬川と親交の深かった建築史家・建築家の藤森照信さんの設計による。
兒嶋さんは「赤瀬川さんが亡くなって早いもので4年がたとうとしている。ほぼ全活動記録が回顧された展覧会や(赤瀬川らが結成した前衛芸術グループ)「ハイレッド・センター」の再評価など国内外で赤瀬川さんの業績の評価が高まる中、本展が一画廊で開かれる意味の大きさに改めて身の引き締まる思い」と話す。
同展では、未発表のコラージュ作品19点をはじめ、模型千円札・大日本零円札・ペン画、リトグラフなどの赤瀬川作品のほか、吉村や美術評論家で詩人の瀧口修造の作品など計44点を展示する。兒嶋さんは「1961年から63年ごろに制作されたコラージュとデカルコマニーやドローイングによる作品で、千円札作品が登場する直前に作られた、ダダイズムが色濃く反映された大変貴重な未発表作品」と紹介する。美術史家の山下裕二さんは「ここに展示される作品は、(赤瀬川)自ら言うところの(赤ん坊と老人の)『中間地点』に至る前の、まっとうな変化をまだ遂げていない頃の赤瀬川さんの軌跡を示すもの」と言葉を寄せる。
兒嶋さんは「レセプション(赤瀬川原平さんを偲(しの)ぶ会)の参加者は今までで最高で、その後も日を追って入場者が増え続けている。若い世代の来場者が多く、時代を越え共感するものがあるのだと思う。ジャンルを超えて多くの足跡を残されてきた赤瀬川さんは美と知の巨人だと信じている。貴重な作品に加え、色紙や版画、ポスターなど含め楽しんでいただければ」と来場を呼び掛ける。
開催時間は12時~18時。月曜定休。入場無料。12月9日まで。